今、保育や教育の現場で取り入れられている、日本の「縦割り保育・教育」をテーマとしています。
この記事は本来、縦割り教育のメリットを最大限にしてもらいたい!ということで、現状と理想の違いについてを述べています。私の子も、学童でのこの「つまづきポイント」のお陰で不登校になりかけました。その私の子の経験談を後半に交えつつ書いてみようかと思います。
縦割り保育とは?
「縦割り保育」とは、異なる年齢の子どもたちを同じグループで保育する方法。従来の保育や教育の現場では、同じ年齢の子どもたちを同じクラスやグループに分ける「横割り」が一般的でしたが、縦割り保育はその考え方を変え、異年齢の子どもたちを混在させるアプローチを取り入れているっていう保育方法です。
ちっちゃい子の手を6歳くらいの幼児が手を引いてあげたり、一緒に遊んであげたりという光景を見たことはありませんか?
縦割り保育の概念自体は、色々な文献を見ていると、結構早いもので1970年代から1980年代くらいから文献などで取り上げられていますね。
しかし、日本ではこの時期は完全に年齢別の保育が主体だったんじゃないかなと思います。年齢ごとに分けて、それに応じた保育士の配置になっているのが実態です。
日本で「縦割り保育」が増えてきた?
ただ2000年代に入ってきて様相が変わってきます。モンテッソーリ教育などのような「子どもを主体とする保育」が台頭してきて、その有用性が広まってきたことと、
日本の保育の方向性もマッチしてきたこともあり、「縦割り保育」を導入する保育園も増えてきているっていう状況です。
その日本の方向性とは何か?
という事で、形式上の「縦割り保育」を奨励する機会が日本で増えてきたこともあります。
そこでこの方針にマッチしていると考えられる「モンテッソーリ教育」が2000年以降かなり注目されるようになってきました。
(もともとは1920年代から日本に入ってきた概念で、本来は高尚な考えを持つ私設園からスタートしています)
モンテッソーリ教育とはなにか?
この「縦割り保育」とも考え方がマッチした、「モンテッソーリ教育」というのは何か?語れば長くなるので端的に説明すると、イタリアの医師で教育者でもあるマリア・モンテッソーリによって提唱された教育方法。
子どもたちの自主性や独自性を重んじ学びを深めていくという教育方法となってます。つまり、子どものやりたいことを優先して保育していくっていう方法ですね。
そこで、モンテッソーリ教育の根幹として、「異年齢混合クラス」が子どもたち集団の自主性を強めるという事となっています。
これがいわゆる「縦割り保育」の考え方に繋がっていると考えられます。
異年齢混合のクラスとはどんなものかというと、3歳から6歳の子どもたちを一つのクラスにまとめ、それぞれ年齢や能力が異なる子どもたちが相互に学び合い、支え合う環境が作る事。上の年齢は下の年齢の子の面倒を見る事で自主性を学び、下の子は上の子からの学びや不安の軽減でより人間性を向上させる。子どもたちはリーダーシップや共感力などの社会的スキルを鍛える効果があるわけですね。
通常の縦割り保育とモンテッソーリ教育との違いは?
実はこの「異年齢混合クラス」と「縦割り保育」は厳密には大きく異なっていると言われています。
それは「各々の子ども同士のコミュニケーション」にあると感じています。
日本が元々目的としたのは、競争や統率の観点。ただ単に縦割り保育を導入しても、そこに子ども同士の主体性に応じた関連性が欠落している事例も多いのです。
そのため、日本が推し進めようとしている「縦割り保育」はだれのためか?その主語は「保育者や管理者」であることが多く、「子どもたち」となっていないこともよくあります。
(すべてがすべてそういう保育をしているわけではないという事は弁明させてください。素晴らしい保育園もありますので)
また、モンテッソーリ教育を主体としている園では、当然、主体は「子どもたち」ですので、単なる縦割り保育ではなく、「異年齢混合クラス」として成り立っているとも言えます。
新しい環境の場「学童」が不登校の引き金になりかけた
これだけ縦割り保育と言っても、導入の方針で、中身がだいぶ異なるという事がよくわかりますよね。
そしてそれは学童期からは大きく様相が変わってくるという事も私自身も体験しました。
「何かが違う・・・。この違いをどうしていくべきか・・・?」
それをまざまざと感じさせられた事例を共有したいと思います。
うちの子も1歳から4歳までモンテッソーリ教育を基盤とする保育園に預けていました。そこでは先ほどの「異年齢混合クラス」となっており、上の子も下の子を率先して面倒を見る環境でした。うちの子も大いに助けられました。
特に遊びになると、同年齢の子たちの遊びでは短絡的になりがちですが、年上の子が混じると、よい意味で遊びの幅が広がり運動量も増えました。
そしてその流れを受け継ぎ、新しく入ってきた子の面倒も自然に見るようになりましたね。
そして、うちの子は7歳となり、今は学校の学童を使っています。そこで親も子も大きな戸惑いを感じる事になりました。
その学童はかなり人数が多く色々な年齢の子たちが集まっています。
うちの子は学童所属の際は、最初は勝手もわからず何をどうしたらよいかも戸惑っていました。しかしスタッフの方々以外誰も助けてくれません。
また、高学年の子に一緒に遊ぼうと言って声をかけるも、遊んでくれない、相手にしてくれない。怪訝な顔をしてくる。
仕方がないのでスタッフからのカリキュラムに従う、または自由行動として学童に置いてある本をただただ読みふけるような日々。
そのうち、うちの子は学童に行きたくないというように泣き出してしまうことに。
今はもう、学童に行かせる日数を減らし、家庭内でケアをしています。
保育と学童は環境が大きく変わるのは当然ですが、ただ単に縦割りっぽく箱の中に子どもを押し込んでいたとしても、そこに主体的なやり取りが生まれなければ意味がありません。管理者にとっては管理しやすいというメリットはあるかと思いますが、子どもにとっては、その環境で異年齢者とどうコミュニケーションをとるべきかもわかりません。
またモンテッソーリ教育に慣れていたうちの子は、「話しかければ仲良くしてもらえる、教えてくれる」という点で最初は活発にコミュニケーションを取ろうとしました。子どもからの距離感が近すぎたのかもしれませんが、それが仇になったようで、「めんどくさいやつ」とか、「自分たちの遊びに集中できない」「話しかけないで」という壁に阻まれてしまいました。
子どもは学童でのこの経験で、かなり意思表示をするのにためらいを見せる事に。再度、我が家で子どもの主体性を構築する必要が出てきそうです。
良くも悪くもいろいろな子どもが集まる「学童」。他者との関わりを望む子もいれば望まない子もいる。そして監督者は基本的に個別対応はしない。
モンテッソーリ教育も元々は感受性が強い子どもたちを対応としたプログラム。この善意のある環境に慣れた子どもたちは、多様な子どもたちが存在し、個々のマイペースさが問われる学童で環境調整に工夫が必要になりそうです。
そんな環境の変化で、うちの子はいったん立ち止まることになりました。
私も仕事が忙しいから、子どもにお願いをして学童を検討したのに・・・、その学童が原因で仕事を調整しなくならなくなったというのは大きな皮肉です。
出来るのならば学童側も色々と考えてもらいたい。
マンパワーが足りないのはよく分かるし、個別に対応する困難さもよくわかります。
ただ、高学年の子たちには、他者や年下に思いやりを示し、仲間意識を持たせるような空間づくりを行って作ってもらいたいものだと思います。学童なので、学校からの宿題や課題主体で利用している子もいるかもしれませんが、皆で遊ぶ時間帯や自由時間などは、皆が手を取り合えるような環境は作ってもらいたい。
すべてがすべての学童でそういうわけではないかと思います。真摯に取り組んでいる学童もアレば支援員もいるのが事実です。しかし、子ども同士のコミュニケーションを円滑にする、良い「仕掛け」があれば、こぼれ落ちる子どもたちも救える幅が広がるかと思います。
発達凸凹があり、何とか普通級の通学をキープできていたのに、学童での感じ取り方でブレーキになってしまう・・・。という事だけは避けたいものでね・・・。
同じ縦割りの概念でも、こうも違うモンテッソーリ教育の概念や、保育と学童の環境変化にも伴い、
「縦割り教育」は誰のためのものか?を今一度考えていく必要がありそうです。
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